秀吉の章

 

戦国・安土桃山時代の武将。尾張国中村の人。木下弥右衛門の子。幼名、日吉丸。初名、藤吉郎。一五歳で松下之綱(ユキツナ)の下男、後に織田信長に仕え、やがて羽柴秀吉と名乗り、本能寺の変後、明智光秀を滅ぼし、四国・北国・九州・関東・奥羽を平定して天下を統一。この間、一五八三年(天正一一)大坂に築城、八五年関白、翌年豊臣の姓を賜り太政大臣、九一年関白を養子秀次に譲って太閤と称。明を征服しようとして文禄・慶長の役を起し朝鮮に出兵、戦半ばで病没。(15371598一説に15361598)

広辞苑より

 

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